2005年の秋の事です。
「18歳で始めて4輪車を購入してから、55歳の今日までに何台の車を乗り継いできたのだろう?」
ふっとそんなことを考え、指折り数えてみると13台でした。
37年間で13台は、1台当たり平均3年に満たないことになります。
確かに車は好きなのですが、それは決して道楽とか言うものでは無く、その背景には、日本から海外への引越し1回、海外から海外への引越し2回、そして海外から日本への引越し1回を含めて計6回の引越しがあります。
気に入った車でも、海外への持ち出しや、海外からの持ち帰りには費用がかかり過ぎるので渋々手放し、引っ越し先で別の車を購入したことも何度か有り、それを含めての13台でした。
実はそんなことを考えていたのには理由がありました。
それは、14台目をどの車にするかの検討をし始めていたからなのです。
その時点では駐車場の関係で1台のトヨタ・エスティマを息子と共有していたのですが、その息子が独立を宣言して別居することになり、駐車場が空くことになったのです。
あのトヨタ・アルテッツァが、レクサスIS250に!
この年、2005年は日本の自動車業界史に新しい1ページが加えられた年でした。
それは、トヨタ自動車が高級車ブランドとして1989年から海外で展開していた「レクサスブランド」の国内展開開始です。
それによって、トヨタブランドで販売されていた何車種かは新しい品質基準と共に名称が変更され、レクサス販売店での取り扱いになったのです。
セルシオがLSへ、アリストがGSへ、ソアラがSCへ、そしてアルテッツァがISへ・・・ 実はこの中には、私が以前オーナーとして乗っていたことがあるスポーツセダン「アルテッツァ」が含まれていましたので、それがレクサス・IS250となって9月に販売開始されるとのニュースには大変興味がありました。
そして14台目の車を検討していた私には、アルテッツァからの変更点がとても気になっていたのです。
トヨタ・アルテッツァとレクサス・IS250の違いは詳細を比べるまでもありませんでした。
それは全く違うデザインであり、全く違う車両サイズ、全く違う質感、全く違う動力性能、そして全く違う価格帯でした。
共通点は、両車共に「FRスポーツセダン」という点だけで、全く違う車種と考えるべき差がありました。
かつて海外でBMW3シリーズのオーナーとしてスポーツセダンの魅力を知り、帰国後にその印象と重なる国産スポーツセダンとしてアルテッツァを選んだ私は、やはりBMW車とトヨタ車との大きな価格差は、車全体の質感の差に現れるものだと感じていました。
そのトヨタ・アルテッツァが今日レクサス・IS250として生まれ変わり、BMWとの質感の差をぐっと縮めた途端に、やはりその価格差も縮まるものなのだと痛感したのでした。
そしてそれこそがBMWやメルセデスベンツを強く意識したトヨタのブランド戦略の狙いなのだと理解したのでした。
14台目の候補、先ずは国産車から
暫く(不本意ながら)ワンボックスカーに乗っていた私にとっての14台目の候補は、何と言っても大人のスポーツセダン、それもできる限り個性的な車でしたので、レクサス・IS250はその候補では有りました。
しかし、希望のオプション込みで500万円近い価格を許容するとなると、国産車の殆ど、そしてBMWやメルセデスベンツをも含めた多くの輸入車も候補となり、検討しなければならなくなります。
そこで先ずはレクサス以外の国産車から検討することにしました。
そしてその国産車も、これまでにオーナー経験が無いメーカーからとし、富士重工、即ち「スバル」から当ってみる事にしました。
勿論スバルがトヨタ系になっていることは知っていましたが、それまでに一度も関心を持ったことが無かったメーカーでしたので、とても興味深い初めてのディーラー訪問でした。
当時のスバル車で人気があったのは「レガシー・ツーリングワゴン」であり、街中で見かけない日は無い程のヒット商品でしたが、ターゲットはあくまでもスポーツセダンでしたので「レガシーB4」がその候補でした。
ツーリングワゴンとは逆で、殆ど見かけたことが無かったこの車との初対面には大きな期待が有り、ワクワクした気持ちでショールームに入ったのですが、残念ながら「B4」は展示されていませんでした。
ところがそこには目を見張る程の存在感を示す車が展示されていたのです。
そのパネルには「インプレッサ・S204」そして、500万円に近い価格表示が・・・
大人のスポーツセダンを求めていた55歳の私でしたが、鮮やかなWRCカラーのその車を見て、その車のスペックを見て、そしてその車の価格を見て、ワクワク感どころか、まるでレーシングカーを見たような興奮さえ覚えたものでした。
それでも限定600台のこの車は、私の14台目の候補とは成り得ませんでした。
勿論乗ってみたいとの気持ちはありましたが、6速MTは試乗としては面白くても、街乗りではATの方が、というよりも、私にとって、320馬力のこの車はレーシングカーそのものであって、決して大人のスポーツセダンでは無かったのです。
とは言え、この車を知ったことで、富士重工という自動車メーカー、そしてスバルやSTIというブランドのモータースポーツ・マインドと、そのマインドを形にできる技術力の高さを認識したことは事実です。
スバル・レガシーB4の試乗、そして決断
ショールームには展示されていなかったB4ですが、試乗用の車が有るとのことで営業マンに導かれ、敷地内の駐車場に移動すると、そこには黒塗りの「レガシーB4 2.0GTスペックB」が有りました。
水平対向4気筒DOHCの2Lエンジンは、ターボによって260馬力のパワーを発生するので、ATでも最初はゆっくりとアクセルを踏むようにとの注意を受けて試乗を開始しました。
そしてそれに従ってゆっくりとディーラー前の国道に出たのですが、それから3分後、軽い上り坂の直線ではもうアクセルが床にへばり付いていました。
勿論一瞬のことですが、その加速感は想像を絶するもので、極一般的な表現ではありますが、背中がシートの背もたれに押し付けられるとはこの事だと感じた程でした。
これは、BMW318iやアルテッツァを含めたこれまでの13台のどれでも味わえなかったもので、260馬力のターボパワーに注意するようにと言った営業マンの気持ちがよく理解できた瞬間でした。
その言葉を思い出して大人に戻り、コーナーリングを試す為に国道から県道に進路を変え、それ程急では無いカーブを速めの速度で走ってみました。
途中、路面が荒れている所を通った時に感じたゴツゴツ感で、足回りの硬さは分かっていたのですが、その効果としての操縦安定性はコーナーリングの際にはっきりと確認出来ました。
この点が、ビルシュタイン製ダンパーや18インチホイール採用の賜物なのでしょうが、FRとは異なる全輪駆動(スバルでは4WDでは無くAWDと呼ぶ)車の素晴らしい点なのかも知れません。
こうして初めての全輪駆動スポーツセダンの試乗を終え、ディーラーに戻ったのですが、心の中では既に他のメーカーを当る気持ちが薄れていました。
そこで、試乗後に幾つかの質問を営業マンにしました。
その答えによってはその場で決めても良いとの思いで尋ねた質問は、次の3点でした。
1⃣ 車体は黒色で内装にアイボリー系の本革シートのオプションは有るか?
*私にはこのアイボリーの本革シートへのこだわりが有り、これは絶対条件でした。
2⃣その場合の納車にはどの位の日数がかかるか?
3⃣ 値引きはどの程度か?
そしてその答えは次の通りでした。
1⃣ 2.0GTには黒の本革シートのオプションのみ、アイボリーは3.0Rのみ可能
2⃣ 3.0Rならば在庫が有るので短期間で納車できる
3⃣ 3.0Rならば2.0GTよりも値引きを多くできる。
明らかに在庫のある3Lモデルの3.0Rを売りたいような回答でしたが、全て真実ではありましたので、3.0Rと2.0GTとの違いの説明を受け、3.0Rの試乗へと進みました。
3.0Rは3Lノンターボの250馬力であり、先の2Lターボの260馬力を知った私にはもう営業マンからの注意は有りませんでした。
それだけに、その爽快な加速感への驚きは特に無かったのですが、違いを感じたのはやはり振動も無く滑らかに回る水平対向6気筒エンジンの静かさでした。
また、タイヤサイズが17インチと、2.0GTよりも1インチ小径でしたが、その差による走行性能の差は私には分りませんでした。
そしてそれ以外の点でも特に大きな違いを感じませんでしたので、早々に試乗を切り上げてディーラーに戻り、早速購入を決断したのです。
他の車を検討する事を止め、この「スバル・レガシーB4 3.0R」を私の14台目の車と決めた最大の理由は、これまで関心が無かった富士重工という会社の「モータースポーツ・マインドと独特なこだわり」が、私が次の車に求めていた「大人のスポーツセダンで個性的な車」の条件に適っていたからです。
スバル・レガシーB4のカスタマイズ
黒色で内装をアイボリー系の本革シートにしたB4が納車されたのは、2週間程過ぎてからでした。早速その雄姿を眺め、大人らしいスポーツセダンに満足していました。
ところがその「大人らしい」が次第に「大人しい」に変わり始め、ついにはもう少しスポーティーにしたい、等と考えるようになって来たのは、やはりあの衝撃的な「インプレッサ・S204」との出会いがあったからでしょう。
そこで、あの時に頭に刻み込まれた「STI(SUBARU TECNICA INTERNATIONAL)」製のパーツによるカスタマイズを思いついたのです。
当初の候補であったレクサスIS250との価格差により、以下のカスタマイズに要する予算は十分確保出来ていました。
☑スポーツマフラーへの変更:これにより、アルテッツァで満足できなかった「スポーツセダンらしい音」へのニーズは満たされました。
但し、6気筒の3.0Rは、2.0GTのような4気筒エンジン独特のブルブル音よりは滑らかな音であり、少し期待外れではありました。
☑コイルスプリングの変更:これにより、ロール剛性が高まり、操縦安定性が向上すると共に、15mm程の車高ダウンによってシルエットも更にスポーティーになりました。
☑フロント・アンダースポイラーの取り付け:これにより「ダウンフォースを生成し、ハイスピードコーナリング時のスタビリティが向上する」とのことでしたが、私にとっては単なるオシャレ・アイテムでした。
こうしたカスタマイズによってより個性的になったB4は、見た目のスポーティー感が増し、心地よいエキゾーストノートとなっただけでは無く、ワインディングロードでの操縦安定性も向上したことが容易に確認出来ました。
その反面、少しの車高ダウンとフロント・アンダースポイラーの取り付けによって、これまで問題がなかった段差でも、フロントスポイラー下部が擦るようになってしまいました。
しかしながら、それによってより「大人らしい」運転になりましたので、大きなマイナスポイントとは捉えないことにしました。
楽しくも短かった“スバリスト”ライフ
こうして14台目の車、B4とのカーライフが始まり、最初の長距離ドライブで2,700kmを走り終えた時にはすっかり“スバリスト”になっていました。
神奈川県を出発し、四国内の各県を通って山口県へ、そして日本海側を鳥取県まで進み、京都府経由で戻ったこの慣らし運転での平均燃費8km/L弱は、2Lエンジンのアルテッツァとは比較になりませんが、それ以外で劣る点は何も見当たりませんでした。
「一度スバル車のオーナーになった者はもう他の車は買えない」との言葉を聞いたことが有りますが、それは言い過ぎだとしても、水平対向エンジンと全輪駆動という、その個性溢れるスバルの大ファンになる、これを”スバリスト”というのだそうですが、そうなる理由だけはよく分かりました。
そんなスバリスト・ライフでしたが、1年半程で終了を迎えることになってしまいました。
それは、仕事の関係でまたまた海外引越しをすることになってしまったからです。
友人に車を売却し、オプション取付け時に外したノーマルのマフラーやコイルスプリングをトランクに積み込んで引き渡した「個性あふれる全輪駆動のスポーツセダン」の後ろ姿を見送りながら、頭の中では次に海外で購入する15台目の車の検討が既に始まっていました。
(ライター :ゴル)
コメント