1999年2月から2001年1月までの2年間、私は仕事の関係でシンガポールに住み、そこで購入した97年式のBMW318iのオーナーとして快適なカーライフをおくっていました。
そして帰国月が近づいた2000年の晩秋には、その車の売却先の検討に入ると共に、帰国後に日本で乗る車の選定に入っていました。
BMW318iはドイツ製のスポーツセダンとして現地でも人気が高かった為、新車登録から4年近く経った車でも比較的簡単に満足できる価格で買い取り業者に売却できました。
そしてその人気の訳は、売却希望価格の設定の参考として各種モデルの中古車相場を調べている時に気づきました。
【著作者:dubstyle】
それは、当時シンガポールで販売されていた輸入車の中には、BMW3シリーズの比較対象となるようなスポーツセダンが少なかった事です。
勿論、個人的な好みの違いはあるのでしょうが、当時のメルセデス・ベンツのCクラスはがっちりとした重量感はあったのですが、スポーティー感に欠けていましたし、ホンダとの提携で開発されたイギリスのローバー400は余りにもファミリーカー的でした。
そしてアルファ156はスタイル的にはイタリアンらしいスポーティーさはあったのですが、イタリア車=故障のイメージからシンガポール人には敬遠されていました。
唯一これは?と思われたのが、フロントに「L」のエンブレムを付けた「レクサスIS200」でした。
この車は、正にBMWの3シリーズやメルセデス・ベンツのCクラスの対抗車種として投入されたトヨタのFRスポーツセダンであり、2000年になってからシンガポールの街で時々見かけるようになっていた車です。
品質の点で評判が良い日本車ではありますが、それでもBMWの対抗馬としてはまだまだ未知数であり、その当時の中古車市場では極限られた存在だったのです。
とは言え私にとっては、この「レクサスIS200」には、BMW318iのイメージと重なる部分が有り、帰国後に乗る車の有力候補と考え始めていたのです。
レクサスIS200、日本名トヨタ・アルテッツァの購入
BMW318iの買取り業者への引き渡し日が近づくにつれて「レクサスIS200」への興味が増し、現地のトヨタ車販売店での実車確認もしました。
そしてその車が日本では「トヨタ・アルテッツァ」名で販売されていることを知り、早速日本にいる息子に頼んでカタログを送ってもらうことにしました。
そしてそのカタログから「レクサスIS200」とは少し違う「トヨタ・アルテッツァ」の仕様・スペック等をBMW318iと比較し、以下を確認しました。
車両サイズの比較
☑アルテッツァの方が、全幅は2・3cm広いが、全長、そしてホイールベースは3・4cm短い ⇒ 日本の実家の駐車場スペースに適合している事、そして日本では運転初心者の息子も乗るので大き過ぎない事からサイズ的には問題が無い。
エンジンの比較
☑BMW318iが直列・4気筒・SOHCの1.8L(115馬力)に対して、アルテッツァのAT車は、直6気筒・DOHCの2L(160馬力)と直列4気筒・DOHC2L(200馬力)の2種類が有る ⇒ アルテッツァの方が車両重量は多少重いが、馬力当たりの重量では両エンジン共にBMW318iを上回るので、より滑らかさが期待出来る6気筒モデルで十分である。
その他の比較
☑駆動方式は両車共に後輪駆動であり、BMW318iで経験した面白みのあるFRの走りがアルテッツァでも期待出来る。
☑また、シンガポールで乗っているBMW318iのタイヤとホイールは、15インチから17インチにインチアップしてあるので、アルテッツァのタイヤ(215/45/17)との性能や見た目の差は無い。
☑しかしながら、勿論これは個人的な好みの問題ではありますが、外見全体のフィールはやはりBMWの方が大人のスポーティー感で優っている。
☑それでも日本での両車の価格差を跳ね飛ばす程の差ではないので、この点は妥協もやむを得ない。
ちなみに、これがシンガポールでの価格差であれば間違いなくBMWに軍配を上げたことと思います。
何故ならば、シンガポールでは両車共に輸入車であり、日本での輸入車と国産車との価格差とは全く違うからです。
こうして両車を比較し、その結論として購入を決定したのが、6気筒エンジンを搭載した黒の「トヨタ・アルテッツァ AS200」でした。
車種決定の意志を早速日本にいる息子に伝え、先にカタログを入手したネッツトヨタでの購入プロセスに入るように指示したのです。
勿論私自信がそこを訪れ、試乗もしてみたかったのですが、帰国準備に忙しい自分にはその時間が無かったことから、値引き交渉や自動車保険の内容検討も含めて息子と電話連絡をとりながらの商談でした。
その過程でオプション取付けの話となり、最も判断に困ったものが「カーナビ」でした。
当時のシンガポールでは、カーナビを取り付けている車を見たことが無く、私自身がその機能や必要性を認識していなかったからです。
何故ならば、シンガポールはとても狭い国であり、国の端から端まで車で走っても1時間以内であることから、道に迷うことが殆ど無いからです。
ネッツトヨタの営業マンに直接電話をして詳しい説明を受け、その機能と便利さから日本での必要性を理解した結果、「パナソニックのDVDナビ」をオプションで取り付けることにしました。
また、ナビの説明時にその便利さを知った「バックモニター・システム」も一緒に購入することにしました。
有料オプションのカーナビと、無料サービスの太目のマフラーカッターが取り付けられた黒いアルテッツァが納車されたのはまだ2000年の年内でしたが、私が帰国して乗り始める年が2001年であることから、その頃日本で流行り始めていた希望ナンバー制度の申し込みで、ナンバーは「2001」としました。
アルテッツァとの対面、そして共に過ごした日本での暮らし
2001年の1月末、いよいよ帰国日となって神奈川県の我が家に戻り、直接見ることも無く購入したアルテッツァとの対面の時が来ました。
常夏の国から戻ったばかりの日本の冬は異常に寒く感じ、久々のヒーター使用で室内が温まるのを待っての初乗りでした。
シートの座り心地は可も無く不可も無くと言った所でしたが、そこに座って真正面に見るクロノグラフをモチーフしたと言われるメーターパネルは、古典的な各メーターの配置ではありますが、全体としてはデザイン性の良さを感じました。
エンジンを始動し、アルミ製のアクセルペダルを軽く踏み込むと、6気筒エンジンが滑らかに回り、タコメーターの針が時計方向に一気に跳ね上がりました。
外見上は太目のマフラーですが、それは無料で取り付けてくれた単なるマフラーカッターですので、聞こえてくるエキゾーストノートからはスポーツセダンとしての気持ちの高まりは有りません。
また、AS200のATはコンベンショナルな4速でしたので、そこからもマークⅡやクラウンのような普通プラスのセダンのイメージしかありませんでしたが、走り始めるとやはりスポーツやスポーティーという文字を上に付けても良いセダンではありました。
Dレンジでの軽い加速感は、明らかにシンガポールで乗っていたBMW318iよりも優り、パワー・ウェイト・レシオの違いが実感出来るものでしたし、勿論以前乗っていたマークⅡの加速とも大きく違いましたので、この点だけでも普通プラスのセダン等では無いことを知らされたのです。
その日は初乗りでしたので近所の一般道走行だけでしたが、所々に有る段差を越えた時には、しなやかさよりも硬さを感じる点で、サスペンション・セッティングがBMW318iのそれと同じように感じ、その為か、同じようなコーナーリング安定感がありました。
こうして1時間程の初乗りを終えて家に戻り、初めて使うバックモニターの便利さに感心しながら駐車場に車を収めたのでした。
この短時間の初乗りによって、第一印象的にはアルテッツァの良さが確認出来たのですが、更にその性能を確かめたいとの思いから、慣らし運転後の長距離ドライブの計画づくりを始めました。
人によってはこの「慣らし運転」などは不要という人もいますが、確かに高品質な国産車のエンジンはいきなり回しても問題無いのかも知れません。
しかしながら個人的には、最初の3ヶ月点検までは「初期不良の有無確認」や「自分自身のその車への慣れ」の目的としての慣らし運転は必要と考えていました。
そこでその計画は路面凍結の心配が無くなる4月に実行することにしました。
行く先は知り合いが居る福島県の喜多方で、神奈川の自宅からは東北自動車道経由で約350Kmです。
購入してからその時点までの走行距離は約2,000km、3カ月点検と最初のオイル交換を済ませ、もうそろそろ高速道路でのフル加速や時速100kmオーバー走行も試せるとの思いでその日を待ちました。
喜多方への慣らし運転卒業ドライブは一泊二日の予定でした。
早速パナソニックのナビに目的地をセットし、その便利さに感謝しながら自宅を出発しました。
アルテッツァで経験する初めての高速道路走行は都内を抜ける首都高でしたが、朝の首都高は交通量が多く、一般道路の走りと大きな違いは有りませんでした。
そしていよいよ東北自動車道です。先ずは最初のSAで小休止をし、そこから本線への進入時にフル加速を試しました。
直6らしく滑らかに回るエンジンと、変速ショックが殆どない無い4速ATの組み合わせでスムースにスピードを上げ、期待通りの加速感を味わうことが出来ました。
そしてこれがRS200[直列4気筒DOHCの6速MTで210馬力のモデル]だったらもっと凄いのだろうな、等と考えながら高速走行を続けました。
そして暫くして2度目の休憩を取り、その後、栃木県の那須付近を走行している時でした。
交通量も極端に少なく、直線が続く高速道路で危険な誘惑が忍び寄り、いけない事とは知りながら、どうしてもアクセルを踏み続けてみたくなったのです。
その結果は想像にお任せしますが、検挙されれば間違いなく12点を失うことになるレベルに達したところで大人に戻りました。
その時の気持ちには「快適」とか「爽快」等は無く、「210馬力のRS200にしなくて良かった」の一言に尽きました。
このようにして慣らし運転の卒業記念ドライブを実施し、何の問題を感じることも無く自宅に戻ったのですが、その間の走行距離は約1,000kmでした。
そしてその平均燃費は、トリップメーターと給油量で単純計算した結果で約10kmでしたので、瞬間的とは言え、あのフル加速テストや、いけない走りを含めての結果としてはほぼ満足出来るものでした。
但しその後の日常市街地走行での燃費は8~9kmでしたので、決して燃費の良い車との印象はありませんでした。
それでもその走りの良さとのトレードオフとして納得していましたので、不満に思うことはありませんでした。
そんなアルテッツァとのその後の暮らしは、週末と休日がメインではありましたが、その快適さを満喫しながら、何のトラブルも無く時を重ねていったのです。
アルテッツァとの別れ
こうして過ごして来たアルテッツァとのスポーツセダン・ライフも、2003年末に迎える最初の車検を前にして終わりを告げることになりました。
その理由は、海岸に程近かった家から都心部へ引っ越すことになり、それに伴って息子がサーフィン道具を運ぶのにワンボックスカーを買いたいと言い出したことでした。
それまでは自転車で海岸に通っていた息子にとっては無理もない要望でしたが、引っ越し先の駐車場には2台駐車が無理であったことから、息子が買うエスティマにその場を譲り、私はスズキの大型スクーターのライダーとなることにしたのです。
そして引越し前に近所の車買取り業者で査定を受け、新車価格の半額程度で気に入っていたアルテッツァを渋々売却したのです。
BMW318iで知ったスポーツセダンの魅力に導かれて購入したトヨタ・アルテッツァ、欧州名レクサスIS200でしたが、その車との別れの時も、頭の中の思いはBMW318iとシンガポールで別れた時の思いと同じでした。
それは、暫くはスクーターに乗り、そして息子のエスティマを借りて乗ることになるが、近い将来に予定している息子との別居の際にはまた必ずBMW318iやアルテッツァのようなスポーツセダンを買うぞ、との思いでした。
そのアルテッツァも2005年には販売終了となり、その後は更にスポーツ性を高め、IS250となってレクサス・ブランドに戻っていったのです。
(ライター :ゴル)
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